僕にとっては、いつもではないにしても、時として川が犯行現場のようなおもむきを持つことがある。魚の生命を奪うからそういうのではなく、釣りという行為そのものがなぜか犯罪を行なうのに似てうしろめたいと感じてしまうことがあるのだ。その場合、犯行そのものについては語ってみたいけれども、犯行現場についてはペラペラと語りたくないという気持になる。
(「夜のイワナ」より)
釣りを始めてからだいぶ経ちますが、川で出会った釣り人とは未だに気軽な話ができません。もし川に人がいたら逃げますよ(笑) いや、緊張するんです。
ちょっと違う話ですが、一昨年、釣り下ってきた同年代の釣り師が、無言のまますれ違っていった事がありました。挨拶しろよ、とか、釣り下るなよ、って怒りはなくて、なんだか凄く気味が悪かったのを覚えています。
しかし釣り人は、夕闇の迫る谷間で、ときとして得体の知れない薄気味悪さに襲われることがある。不意に肌が粒立ち、すべての影が薄闇のなかからくっきりと立ち現れる。そんなときに、亡びたはずの魔物が、岩や木立ちの陰でひそかに息づいているのではないかと思ってしまう。
(「ヤマメ戦記~逢魔が時~」より)
山岳渓流の夕暮れって苦手です。怖いんですよ。
そういえば、昔、日が暮れてきたのに川から上がる場所が解らなくて、すごく焦ったことがありました。道はない、日は暮れる、上に行くか、それとも下るか、もう大あわて。結局、少し下ったところに、シカが上がるような急斜面の上に林道を発見しまして、必死ではい上がりました。いろんな脳内物質が出ていたようで、シカ並に登れましたが、登り切ったときに下を見たら卒倒しそうでした。
ホントに泣きそうになりました。
この風景はかってたしかに見たことがあるという感覚。時間でははかれないはるかな昔に一度見て、そのまま頭の闇の奥深くにしまい込まれていた。風の夜を眠って目を覚ましてみると、その風景がとり出されて、目の前に置かれている。だからそこには、かすかな甘美さをともなう懐かしさがあった。
「釣り師にはね、その人だけに秘められていて、ある日突然、何の前触れもなく姿を現す、いわば約束された川というものがあるのさ。釣り師は生涯にそういう川に二、三本出会う。なにせ約束の川だから、その男の感覚に寸分違わずピッタリくる。だから一度見たように思えてしまう。ここが君の約束の川なんだ。きっとイヤんなるほど釣れるよ、きょうは。」
(「約束の川」より)
残念ながら、今まで、こういったことを感じたことはないです。
っていうか、新しい川に行ってないじゃない、このごろ。
釣行回数が減ってくると、一回の釣行がすごく愛おしくなるんですよね。で、必然的にいつも同じ方に足が向いてしまいます。
もっといろんな人と釣りに行けば守備範囲も広くなると思いますが、人見知りが激しくて(笑)
約束の川。巡り会いたいような、もったいないような・・・
その筋では有名な「イワナの夏」を読んでみました。
いいですよ、これ。本の中の景色が目の前に浮かびます。
こんな文章を書けるようになるのはいつの日か(笑)