”地球に優しい”
とか
”環境に優しい”
という言葉があるが、あれは嘘だ。
あれは言葉のあやであり、地球にとって、どのような環境が優しいも糞もない。あれは、正確に言うなら、
”人間にとって優しい”
と、書き換えるべきである。
オゾン層が破壊されて、人間が全部ガンで死に絶えてしまったとしても、森林がこの地上から失くなって、人類は滅び、多くの生物が死んでしまったとしても、地球にとってはどうでもいいことだ。生命が何もいなくなったとしても、地球はそのおりおりに、ただ、地球であるだけである。
(「悦楽の釣行 長良川」 より)
釣り人はたいくつしない。
釣れない釣り人は、不安と、いらだたしさと、怒りの真っただ中にいるのかもしれないが、少なくとも彼はたいくつとだけは、無縁の場所にいるのである。
(「草平線の国 モンゴル紀行」 より)
最近は、釣りのときじゃなくても退屈しなくなりました。何もすることがないシアワセ、っていうんですか。そんなものを感じることができます。
これもひとえに年の功(笑)。
はっきり書いておけば、人間には二種類しかいない。
釣り人と釣り人でない人の二種類である。
さらに、釣り人は、二種類の人種に分類できる。釣れた釣り人と、釣れなかった釣り人のに二種類である。
~中略~
しかしまだ、天地がふたつに分かたれる前の宇宙のように、釣れた釣り人、釣れなかった釣り人のふたつの存在に分かたれる前の釣り人 つまり、竿を出す前の釣り人は、おおむね、善人であり、未来を信ずる信仰あつき人々なのだ。
(「悦楽の釣行 哀しみの宴」 より)
基本的に一人称は「僕」なんですが、椎名誠氏とその仲間達とのくだりでは、「おれ」になってるところが読みどころです。